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「私はどのように導かれたか サラリーマンから医学生へ」
私は2年前の10月まで大阪でシステムエンジニアとして働く会社員でした。それが27歳の時に会社を辞めて医学部に入るためこの2年間受験生をしておりました。そしてその結果29歳にして、医学部の編入試験に合格することができました。思い返してみますと私が会社をやめてから合格するまでのこの2年間というのは、私がキリスト教に出会って信仰するようになった2年間でもありました。そもそも私が医師になろうと決めたのもいわば神様のせいでして、神様に導かれて医師になったという思いが強くあります。そこで今日は私がこの2年の間で、なぜ会社員を辞めて医師になろうといたったのか、またどのように信仰するようになったかをお話させていただきたいと思います。
私が会社を辞める原因となったのは心身の調子を崩してそれ以上働くことが出来なくなったからでした。今私は「心身の調子を崩した」といいましたが、他の人に話す時は「体調を崩した」とか「心身の調子を崩した」といっているのですが、実のところ私はアルコール中毒、アルコール依存症の状態でした。それがひどくなってとても会社で普通に働くことが出来なくなり会社を辞めなければならなくなったのです。
もともとお酒を飲むようになったのは大学に入った頃からでした。その頃から毎晩飲む習慣がつきまして、会社に入る頃には毎日ウイスキーのボトル1本を二日で空けなければ寝られない体になっていました。それが会社に入って働き出してからは、ストレスからすぐに一日1本開けるようになりました。そうなると一日中身体がだるくて頭が一日中ぼーっとしてとても仕事にならない状態でした。そしてそのだるさをなくすために、またアルコールを取りたくてイライラするという毎日でした。それでもなんとか仕事に支障がないように働いていたのですが、それも長くは続きませんでした。
入社して2年半程した頃、ある朝会社に行こうと駅に向かったのですが、どうしても駅に向かって足が動かなくなってしまいました。会社に行かなければ行けないと思っているのにどうしても気力がというか、身体がいうことをきかないのです。そして私はそのままコンビニに行ってお酒を買って家に帰って朝からお酒を飲み始めました。そしてそのままずっと家に閉じこもって4,5日間ずっとお酒だけを飲み続けました。これは典型的なアルコール依存症の行動で連続飲酒というのだそうです。自分でも頭がパニックになっていて、しんどいから飲むのを辞めたいのに、それでも飲まざるを得ないように身体が命じるのです。この時の体験は思い出してもちょっとぞっとします。
4,5日間飲み続けて身も心もぼろぼろになって、このままではほんとに死んでしまうという思った私は、その頃からお付き合いをしている彼女のところに電話をして「助けて」と助けを求めました。そしてすぐに彼女の家に行ってしばらく看病をしてもらいました。彼女のお父さんがお医者さんをされているので、電話でどう看病すればいいのか色々聞いてくれました。そのときに、彼女のお父さんが電話で私にこう言われたのです。「これは神様が丹羽君に与えたメッセージだ。会社は辞めて医学部にはいって医師を目指してはどうか。」とこうおっしゃるのです。
あまりに突然の話だったので私は驚きました。これは後から聞いて知ったのですが、この頃、彼女のお父さん達はちょうどキリスト教の病院を作るという計画を神様から与えられた時でして、なんとかクリスチャンの医師やスタッフを探さなければいけないと考えておられたところだったそうなのです。クリスチャンの医師といっても、娘は法学部で弁護士になろうとしているところでしたし、息子さんはアメリカに留学したばかりで、今すぐ医学部に行く訳にもいかないし、また、私は既に就職して会社勤めをしていたので、身近にクリスチャンで医師になる人はいないと思って困っていたところだったのです。その矢先に、私がこのような状態になったと話を聞いたものですから、このタイミングからして神様が与えてくださったしるしに違いない、彼こそキリストの病院を建てる計画に参加する者に違いないと確信されたのだそうです。
もっとも私はそんな事情のことはまったく知りませんでしたし、第一私はクリスチャンでもなんでもありませんでした。神様と言われてもまったく自分に関係のあることとは思えませんでしたし、少しも理解できませんでした。それに私は医学部に入学できるほど勉強が得意でなく、あまり大きい声で言えませんが大学も2年留年してやっと卒業させていただいた位でした。それに年も年ですから医学部を目指すなど冷静に考えるととても無謀なことだったのです。
ただ、その時の私は、不思議なことに、とにかく医師になるという言葉を聞いて、それしか自分の道がないと思ったのです。その時の私はまだ身体のアルコールの影響が抜け切れず苦しい状態だったのですが、とにかく医師を目指せばこの苦しいから逃れられるのではないかという思いがしました。今から考えると、別にしばらく身体を直してから、またゆっくりと別の仕事を探せばよかったのですが、その時の私にはホントにそれしか道がないように思えたのです。 そして私は会社を辞めて受験生として医学部を目指すようになったのです。
このように医学部を目指すと決めたのですが、今でこそ私は、会社を辞めざるを得なくなったのは神様の導きだと信じていますが、この時はまだ何の信仰ももっていませんでした。そんなものなくても自分は生きていけると考えていました。その後、彼女のお父さんに導かれて生まれて初めてキリスト教の教会を訪れたのですが、その時にも特に何の感慨も受けなかったし、自分にはあまり関係の無いことだろうと思っていました。とにかく自分は受験が大事なんだからきちんと勉強さえして早く大学に受かる事だけを考えればいいと思っていました。
また「聖書を読みなさい」とか、「お祈りをしなさい」とよく言われました。その時の私の気持ちとしては聖書を読むよりも、少しでも勉強をする方がいい、ひとつでも英単語を覚えるほうが大事とおもっていました。聖書や神様に頼るよりも自分の力や自分の実力を信じるのが大事だと思っていました。自分の能力さえあればなんでも解決できると考えていたのです。このような考えは世の中の多くの人が持っている考えなのではないでしょうか。これはいうなれば、自分が神様みたいなものだと考えているということだと思います。
また、アルコールに関しても私は同じような考え方をしていました。あれだけお酒でつらい目にあったにも関わらず、少し体調も良くなったからすこし位なら大丈夫と、またちょっとずつ飲むようになっていました。その時はまだ、自分がアルコール依存症であることを認めたくなくて、その気になればまあいつでも辞められると考えていました。せっかく神様が一度、アルコールを辞めるきっかけを与えてくださったのに、それを信じて聞き入れず、辞めようと思ったらいつでも辞められると、自分の力を信じていたということだと思います。
そんな私を見て、哀れみ深い神様はもう一度私が変わるきっかけを与えてくださいます。それは、受験勉強を始めてからおよそ半年程した夏の頃でした。ちょうどある大学の筆記試験を終えた私はまた、連続飲酒の状態に陥ってしまったのです。前回は家の近くに彼女が住んでいたので比較的すぐに助けを求めることができたのですが、その頃彼女は仕事で東京に行っていたので助けてくれる人がいませんでした。そして連続飲酒は1週間程続きました。1週間後、電話でこのことを知った彼女が彼女のお父さんに連絡をとってくれて、彼女の弟がわざわざ静岡から大阪まで私を助けに来てくれました。彼女の弟が迎えに来たときの私はアルコールで肌はぼろぼろだし、衰弱して歩くのもおぼつかない状態でしたが、なんとか新幹線にのって静岡の彼女の自宅まで連れてきてもらいました。
アルコールは私の身体を大分わるくしていたようで新幹線の車内でもアルコールが抜ける時の禁断症状でずっと寒気と皮膚の中がざわざわとする感じがとまりませんでした。この時はさすがの私も、ついに自分がアルコール依存症であると認めざるを得ない状態でした。そう認めるのは自分でも辛くショックなことでした。彼女の自宅でしばらく看病をしていただいている間、肉体的にも精神的にもつらい毎日でした。自分の頭や身体が自分のいうことを聞かない感じで、自分が自分でなくなっていくような感覚に襲われていました。
数日して少しだけ体調が良くなった時のことです。袋井北教会の金先生が教会に来て是非、一緒に讃美歌を歌おうといってくれました。そして私はその日の夜の祈祷会があったので、教会に行きました。その時に歌った讃美歌は「人生の海の嵐に」という曲でした。
その讃美歌を歌いながら私は涙が溢れてきて止まりませんでした。自分はどうしようもないくらい弱くて、愚かで、罪深い人間だと思いました。自分では何もできないのに、勝手に自分で何でも出来ると思って、自分ひとりで生きていこうとして、神様にそむいて、そして結局自分ではどうしようも無い状態に陥ってしまって、そんな勝手な私を神様はすべてを許して、やさしく助けて、受け入れて下さろうとしていると感じたのです。
この曲の歌詞の「人生の海の嵐にもまれきしこの身に」、「すさまじき罪の嵐に」とありますが、ほんとにそれまでの私はアルコールという真っ黒な海の中をただよっていたような気がします。その海で苦しくてもがくのですが、もがいても、もがいても海の底に引きずられて、口からは海水ではなくアルコールがどんどん流れ込んでくるような感覚の毎日でした。その時、その海の中に見えた唯一の光がイエス様で、その光までたどり着けば救われるような気がしたのです。
この体験からほんとに少しですが、私の中で信仰が生まれてきましたようにおもいます。結局、その年の受験はすべて失敗してしまうのですが、それの日以来、毎日聖書を少しずつ読むようになりました。また、毎週芦屋福音教会という教会の礼拝に行くようになりました。そして、お酒もいっさい飲みたいと思わなくなりました。礼拝や聖書の中で神様に出会う度に自分の受験や人生に対する不安や恐れといった、重荷を神様が引き受け代わりに背負って下さっているような気がして、私は救われ力づけられました。
また毎日家でお祈りするようにもなりました。お祈りをすれば必ず神様は聞き入れてその願いをかなえてくださるというのが、今では正しいいうことは分かるのですが、その時はまだホントかなーっと思っていました。それでもとにかく素直に心に思うことを、つまり毎日神様に守られていることを感謝し、なにより来年の受験には必ず合格するようにお祈りしました。
このように私は2年目の受験生活をすごしていきました。毎日お祈りするようになって半年程すると、少しずつ自分の祈りが変わってきました。始めはとにかく自分が合格するように、自分が救われるようにと祈っていました。それが次第に、自分の事だけでなく、自分の重荷を背負ってくださる神様への感謝の気持ちが大きくなって神様に感謝をしたい、神様のために自分が尽くしたいという気持ちになってきました。そして、どうか自分を神様のために使って下さい、合格してもしなくてもいいですから、すべてをお任せしますと思うようになりました。それから間もなくして、私は洗礼を受けてクリスチャンになる決意をしました。洗礼を受けた時、これで自分も神様のご計画の仲間に入れたと思ってなんだか力強い気がしたのを覚えています。
そして、その結果、神様は私に医師として働けという計画を示してくださいます。その年の8月にある大学の医学部から、そして10月にもうひとつ別の大学の医学部から合格を頂くことをできました。ほんとうに神様の恵みに感謝します。
以上で私が会社を辞めてから医学に合格するまでに体験したことを大体話ましたが、この2年間で私はすっかり神様のとりこになってしまいました。この2年間の体験は2つにまとめられると思うんです。それは「救い」と「導き」です。
思い起こすと、2年前にアルコールで倒れたことからすべてが始まりました。人は誰しもその人生の中で、自分の力では到底解決できない、もがいても、もがいてもどうしようもない、真っ暗な海のなかでもがき苦しんでいるような問題を抱える時があると思います。私の場合それはアルコールでした。人によってはそれが例えば病気かもしれないし、仕事や将来の事かもしれないし、また家族の問題かもしれません。そんな時に自分の無力さを認めて、すべてを神様にまかせることがどんなに救いであるかを、私は身をもって体験しました。これが私の体験した「救い」です。
そしてもうひとつの「導き」ですが、神様が強力に私をある方向に導いておられることを感じます。いま思うとお酒で倒れたというのも、決して「失敗」とか「不幸なこと」でなく、神様が私を変えるために与えてくださった「導くきっかけ」であり「めぐみ」であると感じるのです。そう思うと、すべてが導きといいますか、例えば自分がもっとも弱っていた時に讃美歌で私を救ってくださったのも導きですし、彼女と出会っていなかったらけっして教会には来ることはなかったでしょうから、大学で彼女と出会えたのも導きですし、そもそも二人が大学に入学できたことさえも奇跡的な導きですし、と考え出すとすべてが導かれた、なにか大きな計画の一部であると感じるのです。
色々長々と語ってきましたが、私はまだまだ信仰的にも未熟でわからないことも多いです。しかし、神様に救われたこの命を、神様の導きに背かないように精一杯、頑張る事が私にできる最善のことだと思っています。そして私は医師として神様のために働くという計画を与えられています。神様への感謝をもってこれからの勉強をがんばってこようと思っています。アァメン。
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